Scene 02 · Notes

解説 場面 2「離れていた二人」

この場面の解説

ワトソンは結婚してベイカー街を離れ、ホームズとはほとんど会っていない。ホームズの活躍は新聞で知るだけになっている。

表現・文法のポイント

I had seen little of Holmes lately
see little of ~ で「~にほとんど会わない」。逆は see a lot of ~「~によく会う」。little は「ほとんど〜ない」という否定的な意味をもち、a little「少しは」とは意味が逆になる点に注意。
master of his own establishment
establishment はここでは「世帯・家庭」の意味。結婚して初めて一家の主(あるじ)になった男、ということ。召使いを抱える中流家庭の主人という、当時の家庭観がうかがえる表現だ。
his whole Bohemian soul
Bohemian は「ボヘミア人の」から転じて「世間の慣習にとらわれない、自由奔放な芸術家肌の」という意味。社交を嫌い自分の流儀で生きるホームズの性格を表しており、物語の題名「ボヘミア」とも響き合う。
alternating from week to week
alternate between A and B で「AとBを交互に繰り返す」。ここではコカインによるけだるさと、事件に向かう激しい活力のあいだを週ごとに行き来していた、という意味になる。

背景・時代

コカイン
19世紀後半のイギリスでは、コカインは薬局で合法的に手に入る薬品だった。その害が広く知られるのはもう少し後のことで、ホームズが退屈しのぎに使う描写も、当時の読者にはそれほど異様ではなかった。
新聞(daily press)
ヴィクトリア朝後期は日刊紙が大衆に広まった時代である。ワトソンが友人の近況を新聞で知るという描写から、ホームズがすでに名の知られた存在になっていることが分かる。

全文の対訳

I had seen little of Holmes lately. My marriage had drifted us away from each other. My own complete happiness, and the home-centred interests which rise up around the man who first finds himself master of his own establishment, were sufficient to absorb all my attention, while Holmes, who loathed every form of society with his whole Bohemian soul, remained in our lodgings in Baker Street, buried among his old books, and alternating from week to week between cocaine and ambition, the drowsiness of the drug, and the fierce energy of his own keen nature. He was still, as ever, deeply attracted by the study of crime, and occupied his immense faculties and extraordinary powers of observation in following out those clues, and clearing up those mysteries which had been abandoned as hopeless by the official police. From time to time I heard some vague account of his doings: of his summons to Odessa in the case of the Trepoff murder, of his clearing up of the singular tragedy of the Atkinson brothers at Trincomalee, and finally of the mission which he had accomplished so delicately and successfully for the reigning family of Holland. Beyond these signs of his activity, however, which I merely shared with all the readers of the daily press, I knew little of my former friend and companion.

このところ、私はホームズとほとんど会っていなかった。私の結婚が、二人を互いに遠ざけていたのだ。私のほうは、満ち足りた幸せと、初めて一家の主となった男のまわりに湧き起こる家庭の関心事とで、すっかり心を奪われていた。一方ホームズは、ボヘミアンの魂のすべてで人付き合いというものを嫌い、ベイカー街の二人の下宿に残って古い本に埋もれていた。そして週ごとに、コカインと野心のあいだ、つまり薬のまどろみと、鋭い気性からくる激しい活力のあいだを行き来していた。彼は相変わらず犯罪の研究に深く惹かれていた。そして並外れた才能と驚くべき観察力を、警察が見込みなしとして投げ出した手がかりを追い、謎を解き明かすことに注いでいた。ときおり、彼の活躍についてぼんやりした話が耳に入った。トレポフ殺人事件でオデッサに呼ばれたこと、トリンコマリーでのアトキンソン兄弟の奇妙な悲劇を解決したこと、そして最後に、オランダ王家のために実に繊細かつ見事に果たした任務のことなどだ。だが、新聞の読者なら誰でも知っているこうした活動の気配のほかには、かつての友であり相棒である彼について、私はほとんど何も知らなかった。

難易度の高い単語 (☆ で覚えたい単語に入れる)

  • loathed(ロウズド)… ひどく嫌った難
  • faculties(ファカルティズ)… 能力・才能難
  • trepoff(トレポフ)… トレポフ(人名)難
  • trincomalee(トリンコマリー)… トリンコマリー(スリランカの港町)難
  • establishment(イスタブリッシュメント)… 家・世帯
  • extraordinary(イクストローディナリー)… 並外れた
  • home-centred(ホウムセンタード)… 家庭中心の(centred はイギリス綴り)
  • accomplished(アカンプリッシュト)… 成し遂げた

次の場面:ベイカー街の窓 The Window in Baker Street

1888年3月20日の夜。往診帰りのワトソンが、懐かしいベイカー街の下宿の前を通りかかる。見上げた窓のブラインドに、部屋を歩き回る背の高い影が映っていた。